政治家のエネルギー政策への"信念"を見たい
山地憲治氏(地球環境産業技術研究機構〔RITE〕研究所長)
工藤泰志:今日は、温暖化対策の技術開発や政策研究をやっておられる、地球環境産業技術研究機構(RITE)の研究所長である山地憲治さんに福島原発事故後のエネルギー問題についてお話を伺おうと思います。今、一番聞きたいのは、総選挙を控え、このエネルギーの問題では、どういうところを争点にしなければいけないのか、ということです。どうでしょう?
エネルギー政策の目標は? 原子力の好き嫌いの前に
山地憲治:争点にしなければいけないということであれば、エネルギー政策の目標をきちんと掲げること。日本は国内資源が乏しいわけですから、「安定的にエネルギー供給を確保すること」(Energy Security)、それから、「経済的に効率的でなければいけない、あるいは経済成長に寄与する」(Economy)そして、「温暖化対策」(Environment)です。これは、三つのEと呼ばれているんですが、これらは、望んでいることであって、現実がどうなるかというと、福島事故後、脱原子力か原子力維持か、再稼働か止めておくのか。そのような原子力問題が現実には話題になるでしょうね。
そういった中で、政策の目標から言えば、いきなり各論である原子力是か非かを問うのではなく、目的を達成するためにどういうことをしなければいけないのか。そういう議論になってほしいですね。日本には50基の原子炉があるけれども、動いているのは2基しかなくて、一時期全然動いてなくて"原子力ゼロ"という状況もあった。それで何が起きているかというと、去年の夏は被災地、東京、東北でしたけれども、今年の夏は原子炉比率の高かった関西電力で需給ひっ迫が起こっている。関西電力は計画停電まで一応準備をした。今年の冬は北海道がなかなか厳しそう、という需給状況ですね。
もう一つは、貿易収支が赤字になったということが重要だと思うんですけれども、結局今の状態で原子力をやめてしまうと、それを補うのは、天然ガスとか石油とかの火力発電なんです。これらが年間、3兆円近い輸入金額になっている。そして輸出でもっていた日本経済が、貿易収支で赤字になってしまった。目標でいうと、安定供給という最初の安全保障と経済インパクトの両方とも非常に毀損されているということを考えてほしいし、CO2の問題も2011年、12年と電力からのCO2排出量が増えているんです。今年は京都議定書の第一約束期間という最終年度で、クレジットとか買っているので何とか見通しが立っている。これ実はリーマンショックがあって不況になったり、なんとか原子力が稼働していなくても辻褄があったんだけれども、温暖化対策も非常に厳しい状態になっている。そういう基本に照らしたエネルギー政策の議論が望ましいです。原子力の好き嫌いという単純な議論にならないように希望しています。
あいまいな「革新的エネルギー環境戦略」 ―「原子力リスク」とどう付き合うか
工藤:なるほど。ただ一方で、政府のこのエネルギー・環境問題への対策が閣議決定はされたんですが、内容があいまいになってしまってですね、環境・エネルギー面での政府の方針というものが全く見えない。これはかなり危機的な状況だと思うんですが、どうでしょう。
山地:プロセスに問題があったかと思うんです。今回は私が参加していた原子力委員会の審議会や総合資源エネルギー調査会の審議会とか、そこは、選択肢を与えて、内閣府にできた国家戦略室のエネルギー環境会議で選択肢を取りまとめて国民的議論を7月から8月上旬にかけてやりました。それに基づいて「革新的エネルギー環境戦略」というものを作り、これを土台に、そこからエネルギー政策や温暖化対策を出していくということでした。その、「革新的エネルギー環境戦略」が9月14日に出たんですが、これが本当にもう、あいまいでしたね。メッセージとしてよく知られているのは、「2030年代に原発稼働をゼロにするようあらゆる政策資源を活用する」。そもそもステートメントが長い。ゼロにすると言っているのか、(ゼロは)努力目標であって、政策資源を投入すると言っているのか、わからない。一方で同じ文章の中に、「安全性が確認された原子力はこれを重要電源として活用する」というのがあるし、世界に日本の「最高の安全性を持つ原子力」を展開するとあるし、再処理については六ヶ所の再処理を従来通り続けるという件もあり、どうも何を言っているのかわからない。これが混迷を招いた原因だと思います。
工藤:となると、まさに混迷の中でこの選挙になるわけですから、当面、政党、また政治家がこの問題に関して、国民にきちっと語ってくれないと有権者は何も判断できない。各政党は、政治家も含めてエネルギー問題で何を語らなければならないのでしょうか。
山地:政策の目標をまず語ってほしい。そして、原子力の議論は避けられないと思います。原子力の安全性が問われますが、更にもう少し詰めていくと、安全性に対する「信頼」なんです。よく「安心」という表現を取られる。私は、原子力の議論をするのであれば、2030年にゼロにするのか15にするのかという比率の議論よりも、原子力のリスクですね。「絶対安全」はないんですから、必ず一定のリスクがある。その原子力のリスクは、日本社会として受け入れられないものなのか。そういう「原子力リスク」に関する、真正面から取り組んだ議論というのを、選挙の期間だけではなく、むしろ政治的なプロセスでも、「原子力リスク」にどう付き合うのか、あるいは付き合いきれないのか。そこに絞った議論が欠けていたと思いますね。それを是非、選挙をきっかけに出来るようにしてもらいたい。原子力ゼロか、いくらに維持するか、という数量的な議論よりも「原子力リスク」はあるんだから、それを日本としてどう受け止めるか、そこの議論は避けて通っちゃいけないと思います。
政治家のエネルギー政策への"信念"を見たい
工藤:確かに、原発はなくすとか、また稼働するとか、わかりやすい選択肢ではなく、止めるにしても、続けるにしても、リスクをどう判断し、日本の社会として応えられるかどうかという、きちんとした見解を政党が持っているかどうか、ということですね。持っていないと、この政党には託せないということになりませんか。
山地:状況によって、民意を大事にするというのはわかるんですが、エネルギー政策には安定性と長期を見通した計画性がいるんです。原子力に対して、事故による不安からエネルギー政策を大きく変えるというのはどうなんでしょうね。おっしゃるように原子力のリスク、目をつぶって歩かなきゃいけないわけですね。それに対してどう扱うのかというスタンスはきちんと持っていないといけない。ただ、安全性に対する「信頼」が薄れたというのは確かなので、今回、発足した原子力規制委員会の「信頼」をきちんと維持して、政治としてはそこを尊重していくしかない。
工藤:有権者側から見れば、非常に難しい。どのような立場・考え方で政治家の発言を見ればいいのか。
山地:俗な言い方になりますが、「信念」を見た方がいいんじゃないですか。
工藤:信念?
山地:国民がどう思っているかについて迎合するような政治家は政治家としてやっぱりよくないんじゃないですか。自分の「信念」で社会を引っ張っていくというのがいい。選挙があるから、民意がどこにあるか探るというのは当然だけれども、それに応えるのも当然なんですから。その前に、自分はどうしたいのか、日本のエネルギー政策をどうしたいのか、自分の考えをきちんと持っているということが大事。持っている人であれば、私と違う意見の人とでも十分に議論は成立するけれども、自分の意見がないと、実りがないですね。あと、現実性ですよ。実現しなければいけない。
工藤:なるほど。そういう形でちょっと見てほしいということですね。