社会保障分野のマニフェストをどう読むか
西沢和彦氏(日本総研上席主任研究員)
評価に際して重要視する2つの視点
マニフェストを評価するに際して、私は2つの評価軸を考えています。1つは、我が国は超高齢社会に突入していくわけですが、超高齢社会に突入していくにあたって、社会保障制度が持続可能なものとなるのか、ということです。社会保障制度は、よく知られているように現役世代が高齢者を支える賦課方式を基本としていますが、現役世代が減り、高齢者が増えていく中で、本当に社会保障が長期的に、財政的に持続可能なのかといった不安を我々は抱えているわけです。
そこで、各政党のマニフェストがこうした課題を認識して、それに対する方向性を的確に示しているのか、といったことを重視しています。そうすると、マニフェストには、制度を長持ちさせるために、負担の引き上げなど、少し厳しいことが書かれるはずなのです。ただ、負担にも限界がありますから、一方で給付を少し下げる。こういった一見聞こえの良くないことが盛り込まれているはずです。そうした点を見ていきます。
もう1つの評価軸としては、我々の就業形態や家族形態の変化に合わせて、どのように制度を見直していくのか、という視点があるかどうかです。近年になりまして、例えば、働く女性の比率もだんだん増え、今後も増えていくものと思われます。あるいは労働市場を見ましても、正規雇用から非正規雇用へのシフトが進んでおり、これは望むと望まざるとにかかわらず、大きな揺り戻しはないというふうに考えています。こうした変化に合わせて制度を再構築しようとしているかということを見ています。
「マクロ経済スライド」の発動により、年金の過剰給付の解決を
そうした2つの評価軸から各マニフェストを見ますと、特に1つ目の評価軸についての認識が甘いと言わざるを得ないと思います。年金を例にお話をしますと、年金制度は2004年に大きな改正が行われました。その柱が「マクロ経済スライド」という聞き慣れない、あるいはテクニカルなネーミングの仕組みです。
簡単に言えば、少し時間をかけて年金給付を削っていき、そうすることで、年金財政を長期的に持続可能なものにしましょうという仕組みです。この狙いはまさに妥当なものであったわけですが、2004年に年金改正が行われて以降、この「マクロ経済スライド」は全く機能しておらず、過剰な年金給付が続いています。
もうかれこれ10年になろうとしているわけですけども、この過剰な年金給付は、足元の積立金を前倒しで取り崩すことになっており、結局、将来世代のツケとなっているわけです。こういう状況がずっと放置されています。当時の与党のマニフェストを見ても、そこに対する問題認識は見られませんし、今の与党のマニフェストを見てもそこに対する認識は見て取れません。しばしば、将来世代に対する責任を果たすと言った言葉がリーダーから聞こえてきますけれども、マクロ経済スライドの発動など具体的施策とセットでなければ、説得力を持ちません。
課題解決のための方法と財源を明らかに
2つ目の課題に対して、これは各政党のマニフェストを見ても、ちらほらとあるいは若干、改革の方向性を見て取ることができます。例えば、子育てです。保育所の整備などに関しては、社会保障の中でも以前よりも注目が集まってきたかと思います。以前であれば、社会保障と言えば、年金・医療・介護だけでしたが、ここにきて、子育てが非常に重要な分野として注目されるようになってきました。ただ、こういった就業形態や家族形態の変化などについて、制度をどう構築しようとしているのか、といったことに関し、マニフェストを見渡して思うことは、スローガンやキャッチフレーズは盛り込まれているものの、実現に向けた手段が見えていないということです。
例えば、日本はいま年間120万人が死亡しています。今後、高齢者人口が増えていく中で、年間死亡者数は170万人なっていきます。そうしたときに本当に安心して、どこで死ねるのかといったことが、非常に重要な問題になってくるわけです。各党のマニフェストを見ますと、適切な医療を受けられるようにする、適切な介護を受けられるようにする、どこに住んでいても受けられるようにするのだと書いてあります。
しかし、限られた財源の中で、あるいは医療や介護サービス提供者が民間事業者である中で、政府はどのようにそれを実現するのか――そのための手法、あるいはパスが見えてきません。確かに、きれいなことが書かれている部分が非常に多いのですが、我々有権者としては、ではいったいそれをどう実現するのか、そのときの財源をどこから持ってくるのか、そういうことを厳しく問うていく必要があると思っています。以上です